トマス・アクィナス

イタリアの神学者、哲学者 (1225?-1274)

トマス・アクィナス

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トマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年)は、中世ヨーロッパの神学者哲学者。ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ神学の代表的神学者である。

  • 哀れみのない正義は冷酷である。しかし、正義のない哀れみは解体の母である。(『マタイ福音書注解』)
    Justice without mercy is cruelty; mercy without justice is the mother of dissolution.

『神学大全』

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  • この命題「神は存在する(Deus est)」は、それ自体においては自明である。なぜなら述語と主語が同一であるからだ。後で明らかになるように、実際、神はその存在そのものである(Deus enim est suum esse)。(『神学大全』第1部2問1項主文より)[1]

『君主の統治について』

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  • アリストテレスが『政治学』で教えるところによれば[2]、外国人との交わりは市民の風紀を著しく乱すものである。というのも、外国人たちは異なった法律や慣習の下に育てられているので、多くの事柄において市民の流儀とは異なった行動をとることとなり、その結果市民たちはかれらと同じような行動をとるように仕向けられ、市民の共同生活は攪乱させられるからである。
君主の統治について 謹んでキプロス王に捧げる 第2巻第3章[138][3]

その他

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  • 神は神の存在そのものである。このことは、他のいかなる存在についても言うことができない。- トマス・アクィナス
  • 神には始まりも終わりもなく、神の存在のすべてを一度に所有している。これが永遠の概念の基礎である。 - トマス・アクィナス
  • 神についての人間の究極の知識は、私たちが神を知らないということを知ることです。 - トマス・アクィナス
  • キリスト教徒も異教徒も、神の本質をそれ自体として認識していない。 - トマス・アクィナス
  • 神、天使、そして人間にとっての究極の幸福と至福は、神を見ることです。 - トマス・アクィナス
  • 神と神のうちにあるものは目標をもたない。むしろ神が目標なのだ。[4] - トマス・アクィナス
  • 存在するものはそれぞれの本性によりその仕方に従って、自らを愛するよりさらに多く神を愛する。[5]- トマス・アクィナス
  • 神は沈黙のうちに称えられる。我々が神について何もいうことが出来ず、あるいは何も知ることが出来ないからではない。むしろ我々は神を把握することが出来ないと、我々が知っているからだ。- トマス・アクィナス
  • 被造物は無から生じたものである限り暗い。しかし、それが神に由来するものである限り、それは神の似姿に似せている。 - トマス・アクィナス
  • は愛情深い献身よりも知識の力によってより簡単に神に導かれるが、愛情深い献身は知識の力よりも完全に神に到達する。 - トマス・アクィナス
  • 私たちは神に心を開くことができますが、神の助けがなければそれはできません。 - トマス・アクィナス

脚注

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Wikipedia
ウィキペディアにもトマス・アクィナスの記事があります。
  1.  Summa Theologiae I.Q2.A1” (la/en). Aquinas Institute. 2024年12月23日閲覧。
  2. 訳注(7) V,3:1303a 27;また Ⅶ,6:1327a 13-15、『君主の統治について 謹んでキプロス王に捧げる』 柴田平三郎訳、岩波文庫、2009年、137ページ
  3. 『君主の統治について 謹んでキプロス王に捧げる』 柴田平三郎訳、岩波文庫、2009年、106ページ
  4. "Gott und was in Gott ist, hat nicht ein Ziel, sondern ist das Ziel." - Thomas von Aquin, "Über die Macht Gottes"
  5. "Jedes Wesen liebt von Natur auf seine Weise Gott mehr als sich selbst."

参考文献

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