上杉謙信

日本の戦国大名

上杉謙信うえすぎ けんしん、1530年-1578年)は日本の越後の戦国武将。旧姓は長尾、後に上杉家の養子となり関東管領となった。

上杉謙信

引用

編集
  • 運はにあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり
    何時もを掌にして合戦すべし
    疵つくことなし
    なんと戦えば生き きんと戦えば必ず死するものなり
    家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る 帰ると思えば ぜひ帰らぬものなり
    不定とのみ思うにえ
  • 依怙(えこ)によっては弓矢はとらぬ ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す
    • 手紙より
  • 我れ公と争ふところは弓箭ゆみやにあり米櫃かてにはあらず。
    • 湯浅常山『常山紀談』(1739年、1700年)[1]
    • 武田信玄宛書簡。北条から塩攻めされた武田に謙信は通常の価格で塩を売った。警句「敵に塩を送る」はこれを元とする。
  • 極楽も地獄も先きは有明の月ぞ心に掛かる雲なし
    • 岡谷繁実 『名将言行録』では辞世の句とされる[2]

PAGE

注釈

編集
  1. 湯浅常山『常山紀談』、博文館、1909年、p.24。[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992078 国立国会図書館近代デジタルライブラリー、info:ndljp/pid/992078、 2015年10月20日 (火) 06:14‎(UTC)アクセス
  2. 『釈注名将言行録』上、菊池寛編、非凡閣、1942-1943年、p.270。国立国会図書館近代デジタルライブラリー、info:ndljp/pid/1042999、 2015年10月20日 (火) 05:36‎(UTC)アクセス

外部リンク

編集
 
Wikipedia
ウィキペディアにも上杉謙信の記事があります。