太宰治

日本の作家 (1909-1948)

太宰治 (1909年 - 1948年)

編集

だざい おさむ。昭和初期の日本の作家。青森県生まれ。

出典の明らかなもの

編集
  • 子供よりが大事と思いたい--『櫻桃』
  • 富士には月見草がよく似合う --『富嶽百景』
  • 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かな叫び声をお挙げになった。--『斜陽』
  • 爵位があるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位が無くても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民にちかいのもいる。--『斜陽』
  • 僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持の振りをしたら、人々は僕を、金持だと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。どうも、くいちがう。--『斜陽』
  • 何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。 -- 『みみずく通信』
  • すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、そんなけちな根性をいったい誰から教わった?--『道化の華』
  • まで生きていようと思った。--『葉』
  • 眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。--『女生徒』
  • 泣いてみたくなった。うんと息をつめて、目を充血させると、少しが出るかも知れないと思って、やってみたが、だめだった。もう、涙のない女になったのかも知れない。--『女生徒』
  • 明日もまた、同じ日が来るだろう。幸福は一生来ないのだ。それはわかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。--『女生徒』
  • 人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない。--『もの思う葦』
  • 当りまえのことを当りまえに語る。--『もの思う葦』
  • 生れて、すみません --『二十世紀旗手』
  • 自信持て生きよ 生きとし生ける物 全て これ 罪の子なれば --『二十世紀旗手』
  • なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。 --『駈込み訴え』
  • 不良でない人間があるだろうか。味気ない思い。金が欲しい。さもなくば、眠りながらの自然死! --『斜陽』
  • おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。 --『如是我聞』
  • 絶望するな。では、失敬。--『津輕』

人間失格

編集
  • 恥の多い生涯を送って来ました。
  • そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
  • 人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。
  • いまは自分には幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。
  • 「女から来たラヴ・レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうですよ」
  • 弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するです。幸福に傷つけられる事もあるんです。
  • 死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱりやっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
  • 幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。
  • 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたの、たいていの人から、四十以上に見られます。
  • 「ついでに、女のシノニムは?」「臓物」「君は、どうも、詩(ポエジイ)を知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」「牛乳」
  • しかし、自分のように人間を恐れ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺(ぞくげん)の「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧校猾(れいりこうかつ)の処生訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでい、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
  • モルヒネの注射液でした。
    酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の躊(もゆうちよ)も無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も焦燥(しょうそう)も、はにかみも、綺麗(きれい)に除去せられ、自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。
  • それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」というようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。
    けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこか「遊び」がひそんでいました
  • 自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。
    「すげえなあ」
    竹一は眼を丸くして感嘆しました。
    「地獄の馬みたい」
    「やっぱり、お化けかね」
    「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」
    あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪(ようかい)を確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷(いた)めつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、
    「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を画くよ」と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。」

走れメロス

編集
  • メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
  • 口では、どんな清らかなことでも言える。わしには、人のはらわたの奥底が見えすいてならぬ。
  • 「セリヌンティウス」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若(も)し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなず)き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑(ほほえ)み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
  • 信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
 
Wikipedia
ウィキペディアにも太宰治の記事があります。