桐壺

『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第1帖。
  • 何れの御時にか、女御更衣数多侍ひ給ひける中に、いと止む事無き際には有らぬが、勝れて時めき給ふ、有りけり。初めより我はと思ひ上がり給へる御方々、目覚ましき者に貶め嫉み給ふ。同じ程、其れより下臈の更衣達は、況して安からず。
  • 前の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌かたちなり。
  • 御局は桐壺なり。…… いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。
  • この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮・納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。……ものの心知りたまふ人は、「かかる人も世に出でおはするものなりけり」と、あさましきまで目を驚かしたまふ。
  • その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。…… 日々に重りたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、皇子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
  • 「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
「限(かぎ)りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」と。
  • 野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負の命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
    命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる。
  • このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言ことの葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ枕言にせさせたまふ。 …… 
    かの贈物御覧ごらんぜさす。「亡き人の住処尋たづね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし。
「尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」
  • 若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。
  • そのころ、高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こし召して、…… いみじう忍びて、この御子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人驚おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ。
    「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見(み)れば、またその相違ふべし」と言ふ。
  • 宿曜の賢き道の人に勘へさせたまふにも、同(じ様に申せば、源氏になしたてまつるべく思しきおきてたり。
  • 藤壺と聞こゆ。げに、御容貌・有様、あやしきまでぞおぼえたまへる。
  • 世の人、「光る君」と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日の宮」と聞こゆ。
  • この君の御童姿、いと変へまうく思(おぼ)せど、十二にて御元服したまふ。 ……引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、春宮よりも御気色あるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。
  • 御盃の序でに、
「いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや」
御心ばへありて、おどろかさせたまふ。
「結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは」
 と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。
  • 「光る君と云ふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。