行尊
平安時代後期の天台宗の僧侶・歌人
行尊(ぎょうそん、1055年- 1135年)は、平安時代後期の日本の天台宗の僧・歌人。平等院大僧正とも呼ばれる。父は参議源基平、母は藤原良頼女。後三条天皇女御源基子は同腹の姉妹にあたる。父の死後、十二歳で園城寺(三井寺)で出家。大峰山・葛城山・熊野などで修行し、修験者として知られる。1107年に鳥羽天皇が即位するとその加持僧に任じられ、加持祈祷に優れた高僧として朝廷や公家の尊崇を受けた。1116年、2代熊野三山検校に補任。1123年には天台座主となったが、延暦寺と園城寺との対立により6日で辞任している。1081年に焼き討ちで消失して以来衰微していた園城寺の再建に尽力し、1134年の金堂落慶を実現させた。
引用
編集- 心こそ世をば捨てしかまぼろしの姿も人に忘られにけり
- 『金葉和歌集』収録。
- すみなれし我が古郷はこの頃や浅茅がはらに鶉なくらむ
- 『新古今和歌集』収録。
- 詞書「三井寺焼けて後、住み侍りける坊を思ひやりてよめる」。比叡山による園城寺焼き討ちは1081年をはじめ、小規模なものまで含めると中世末期まで50回にも上る。本歌でいう焼失はいつのものか不明。
- この世には又もあふまじ梅の花ちりぢりならんことぞかなしき
- 『詞花和歌集』収録。
- 詞書によれば三井寺で病床にあるときの歌、この後まもなく没したという。