素性
日本の僧侶・歌人
(素性法師から転送)
素性(そせい、生年不詳〜910年〈延喜10年〉没?)は、平安時代前期から中期にかけての歌人、僧侶。素性法師(そせいほうし)とも。父は遍昭(良岑宗貞)。俗名は諸説ある。一説には良岑玄利(よしみねのはるとし)。三十六歌仙の一人。
引用
編集- あらたまの年たちかへるあしたより待たるるものは鶯のこゑ
- 『拾遺和歌集』詞書「延喜の御時、月次の御屏風に」とあり、醍醐天皇治世下(893年 - 930年)に屏風に添える歌として詠まれたもの。『拾遺和歌集』、『和漢朗詠集』に収録。
『古今和歌集』
編集- おもふどち春の山辺にうちむれてそこともいはぬ旅寝してしか
- ちるとみてあるべきものを梅の花うたてにほひの袖にとまれる
- 見てのみや人にかたらむさくら花てごとにをりて家づとにせむ
- みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
- いそのかみふるきみやこの
郭公 こゑばかりこそ昔なりけれ- 「いそのかみ」は現在の天理市。古名を布留といい、枕詞である。「みやこ」は安康天皇および仁賢天皇の宮殿を指す。
郭公 はつこゑきけばあぢきなくぬしさだまらぬ恋せらるはた
- ぬししらぬ香こそにほへれ秋の野にたがぬぎかけしふぢばかまぞも
- 我のみやあはれとおもはむきりぎりすなく夕かげのやまとなでしこ
- ぬれてほす山ぢの菊のつゆのまにいつか千とせを我はへにけむ
- 詞書に「仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる」。屏風に添える歌である。
- 今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな
- 『小倉百人一首』に採られる。本歌は遍照の項を参照。
- たむけにはつづりの袖もきるべきにもみぢにあける神やかへさむ
- 詞書に「朱雀院の奈良におはしましたりける時に、たむけ山にてよみける」。菅原道真の『小倉百人一首』採録歌「このたびは」と同じときの歌。