菅原道真
日本の公卿・学者・文人
菅原道真(すがわら の みちざね、(845年8月1日(承和12年6月25日) - 903年3月26日(延喜3年2月25日))は平安時代の日本の政治家、歴史家、文人。失脚し、大宰府に左遷された。菅公(かんこう)とも。死後天神信仰の対象となった。
引用
編集和歌
編集- こち吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
- 『拾遺和歌集』、詞書「流され侍りける時、家の梅の花を見侍りて」。
- 「こち」は東風の意。901年(昌泰四)年、大宰府に左遷され、京を離れるときの歌。
- 文献により「春な忘れそ」の表記。
- 雁がねの秋なくことはことわりぞかへる春さへ何かかなしき
- 『後拾遺和歌集』巻二巻頭歌。
- ながれゆく我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ
- 『大鏡』。大宰府に発つ際、宇多院に奉った歌。
- 天つ星道も宿りもありながら空にうきても思ほゆるかな
- 『拾遺和歌集』、詞書「流され侍りける道にて詠み侍りける」。
- 君がすむ宿のこずゑのゆくゆくと隠るるまでにかへりみしやは
- 『拾遺和歌集』、詞書「流され侍りて後、いひおこせて侍りける」。大鏡によれば、山崎から船出する際、京に残る妻に贈った歌。
- 夕されば野にも山にも立つけぶり歎きよりこそ燃えまさりけれ
- 『大鏡』。「かくて筑紫におはしつきて、ものをあはれに心ぼそくおぼさるる夕、をちかたに所々けぶりたつを御覧じて」とあり、この歌が続く。
- あしびきのこなたかなたに道はあれど都へいざといふ人ぞなき
- 『新古今和歌集』巻十八巻頭歌。筑紫大宰府での歌。
- 彦星のゆきあひをまつかささぎの門わたる橋を我にかさなん
- 『新古今和歌集』。
漢詩
編集- 昨年の今夜は清涼殿で天皇のおそばにいた
「秋思」という題で漢詩を作りわたし一人が腸を断つがごとき思いを詠み奉った
その詩をおほめいただき賜った御衣はいまここ筑紫の地にある
その御衣を捧げ持ち毎日天皇の残り香を嗅ぎ[お慕い申し上げている] --『九月十日』- 去年今夜侍清涼 去年の今夜清涼に待す
秋思詩篇獨断腸 秋思の詩篇独り断腸
恩賜御衣今在此 恩賜の御衣は今ここにあり
捧持毎日拝余香 捧持して毎日余香を拝す
- 大宰府に左遷中の漢詩。901年(昌泰四)旧暦9月10日の作。九月十日は重陽の後宴。
- 去年今夜侍清涼 去年の今夜清涼に待す