能因

平安時代中期の僧侶・歌人

能因(のういん、988年 - 1050年あるいは1058年)は、平安時代中期の日本の僧侶・歌人。中古三十六歌仙の一人。俗名は橘永愷(たちばな の ながやす)。法名は初め融因(ゆういん)。1013年出家し、摂津国古曽部(現在の大阪府高槻市)に居住し古曽部入道と称した。甲斐国や陸奥国などを旅し、多くの和歌作品を残した。

引用

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  • よそにてぞたなびくふるさとのは見るべかりける
    • 『後拾遺和歌集』収録。
    • 詞書「長楽寺にて故郷の霞の心をよみはべりける」。長楽寺は比叡山延暦寺の別院で現在の京都市東山に位置する。
  • あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを
    • 『後拾遺和歌集』収録。
  • 山里の春の夕暮きてみれば入相の鐘にぞ散りける
    • 『新古今和歌集』収録。
  • あらし吹くみ室の山のもみぢばは竜田の川の錦なりけり
    • 『後拾遺和歌集』、『小倉百人一首』収録。
  • 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
    • 『後拾遺和歌集』『古今著聞集』収録。
  • 夏草のかりそめにとて来こしかども難波の浦に秋ぞ暮れぬる
    • 『新古今和歌集』収録。
  • 瑞垣にくちなし染めの衣きて紅葉にまじる人やはふり子
    • 『新勅撰和歌集』収録。
  • わがやどの梢の夏になるときは生駒の山ぞ見えずなりぬる
    • 『新勅撰和歌集』収録。
    • 詞書「津の国の古曾部といふ所にてよめる」。

能因に関する引用

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  • 能因法師は和歌の道に極めて深く没頭した人であったので、「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んだものの、都にいてこの歌を発表してはつまらないと思い、人に知られないよう長期間家に籠もり、肌を黒く日焼けさせて後、東北に歌の修行にいった際に詠んだといって先の歌を公表したということです。--『古今著聞集』
    能因法師は、いたれるすきものにてありければ、 「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」とよめるを、都にありながらこの歌をいださむことを念なしと思ひて、人にも知られず久しく籠もり居て、色をくろく日にあたりなして後、「みちのくにのかたへ修行のついでによみたり」とぞ披露し侍りける。

外部リンク

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Wikipedia
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