大伴旅人
日本の奈良時代の貴族、歌人
情報源の明らかなもの
編集万葉集
編集- やすみしし我が大王の食(を)す国は大和もここも同(おや)じとそ思ふ--巻六・956
- 大宰帥として筑紫赴任時の歌。728年(神亀五)年。
- 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり--巻五・793
- 大宰府にて。『万葉集』の注によると神亀五年六月二十三日。このころ妻と弟を続けて喪っている。
- 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き--巻八・1473
- 詞書「大宰帥大伴卿の和ふる歌」。大宰府にて。
- 験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし--巻三・338
- 詞書「大宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首」。その第一首。
- 鞆の浦の磯の杜松(むろのき)見むごとに相見し妹は忘らえめやも--巻三・447
- 詞書「天平二年庚午冬十二月、大宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌五首」のうちの一つ。
- 妹として二人作りし我が山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも--巻三・452
- 天平二年冬、帰京後。
- 吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙むせ来る--巻三・453