女性配偶者のこと

(つま)に関する引用。

出典の明らかなもの

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  • 夫よ己の婦(つま)を愛することハリストスが教会を愛するが如くせよ、彼は己を此が為に捨てたり、……即(すなわち)是が聖にして疵なき者とならん為なり。--新約聖書『エフェソス人への手紙』(エフェソ書)5:25および27後半。
  • 夫は己の婦(つま)を愛すること、己の身の如くすべし。己の婦を愛する者は、己を愛するなり、人未だ己の身を悪む(にくむ)者有らず、乃(すなわち)之を養ひ、之を温むること、主の教会におけるが如し。--新約聖書『エフェソス人への手紙』(エフェソ書)5:28-29。
    • 正教会訳より。
  • 妹として二人作りし我が山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも -- 大伴旅人万葉集』巻三・452
  • の野の尾花が末の生い靡き 心は妹に寄りにけるかも -- 柿本人麻呂『万葉集』巻十
    • 万葉仮名:秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨
  • フランスでは、妻を失ったは悲しみにくれ、その反対に寡婦たちは陽気で幸せである。-- スタンダール『恋愛論』
    En France, les hommes qui ont perdu leur femme sont tristes, les veuves au contraire gaies et heureuses.
  • 妻をめとらば才たけて顔うるはしく情けある、を選ばば書を読んで六部の仇気四分の熱。あぁ我ダンテの詩才なく -- 与謝野鉄幹『人を恋ふる歌』
  • 哲夫は城(くに)を成し、哲婦は城を傾く。懿(ああ)厥(その)哲婦、梟(けう)と為り鴟(し)と為る、婦の長舌あるは、維(これ)厲(れい)の階(はし)なり、乱るるは天より降るにあらず、婦人より生る、教(をしへ)に匪(あら)ず誨(をしへ)に匪(あら)ざるは、時(これ)維(これ)婦と寺、 -- 国民文庫刊行会『国訳漢文大成: 詩經』
    哲夫成城、哲婦傾城。懿厥哲婦、為梟為鴟。婦有長舌、維厲之階。亂匪降自天、生自婦人。匪教匪誨、時維婦寺。 -- 『詩経』(大雅 蕩之什)
  • 凡家の乱(みだれ)は、多くは婦人よりをこる。婦人の禍は、必口よりいづ。戒むべし。 -- 貝原益軒『和俗童子訓』(1710年)
  • 夫たるもの、如何程美しき妻を持ちたりとも、心愚にて目先が利かず、客に酒一ツ呑まするにも、もしへ〳〵と、夫を度々勝手へ呼ぶやうなる気転の利かざる妻を持つは、其人一代幾らの損あるか知るべからず。されど妻が夫より才が優れば、悪くすると夫を尻に敷くなり。夫の馬鹿を人にかくし、陰にて諫めるは賢女といふべし。 -- 山東京山『教草女房形気』(1846年)
  • 日本婦人の教育程度の向上は、すべての意味で喜ぶべき事である。現在では、この教育程度向上のお蔭で、黒人(くろうと)上がりでない限り、日本の上流婦人は女学校卒業程度以上の学力あるものと限られているようである。最近の分では、賢母良妻主義凋落(ちょうらく)以後の教育を受けた若い婦人が沢山にある。そのような女性の最も多く進出する処は、云う迄もなく東京であった。然るに、維新後の日本の教育は、智識教育に偏り過ぎていた。本能、真情等の、所謂人間味の教育の方はお留守になっていた。[...]彼女達は、嫁いだ家、又は夫の名誉、手腕、財産等に奉仕せねばならぬ不平を、何者かに依ってなぐさめてもらわねばならぬ理由を持っていた。 -- 夢野久作『東京人の堕落時代』(1925年)


帰属不明のもの

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関連項目

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