額田王

日本の飛鳥時代の皇族、歌人

額田王(ぬかだのおおきみ 生没年不詳、7世紀後半に活動)は斉明朝から持統朝の、代表的な万葉歌人。大海人皇子(のちの天武天皇)の妃。十市皇女の母。のちに天智天皇と関係したといわれる。

  • 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ --『万葉集』巻一(7)
  • 熟田津に乗りせむと待てばもかなひぬ今は漕ぎ出でな --『万葉集』巻一(8)
    熱田津爾 船乘世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
    • 熟田津は現在の道後温泉。当時は海港であった。
  • 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや --『万葉集』巻一(18)
    • 天智六年(667)近江大津宮遷都に際し、飛鳥京を去る折の歌。
  • あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る --『万葉集』巻一(20)
    茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
    • 天智七年(668)五月五日、天智天皇の蒲生野行幸における歌。雑歌に分類され、池田彌三郎『萬葉百歌』ほか研究は宴席での座興の歌とする。
  • 君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かしの風吹く--『万葉集』巻四(488)・巻八(1606)
    君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹


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