与謝野晶子

日本の文学者

与謝野晶子(1878年〜1942年)は、日本の作家、歌人。明治時代から昭和時代にかけて活躍した。与謝野鉄幹は夫。

与謝野晶子

情報源の確かなもの 編集

『みだれ髪』 編集

  • 清水へ祇園をよぎるこよひ逢ふひとみなうつくしき
  • その子二十櫛に流るる黒髪のおごりのの美しきかな
  • 春三月柱(ぢ)おかぬ琴に音立てぬ触れしそぞろの我が乱れ髪
  • やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

その他 編集

  • ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)我も雛罌粟
    『夏より秋へ』所収
  • 恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家
    『恋衣』所収。
  • 鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
    1903年作。翌年『明星』に発表。『恋衣』所収。
  • 産屋なるわが枕辺に白く立つ大逆囚の十二の棺
    『東京朝日新聞』1911年3月発表。『青海波』(晶子第十歌集)所収。幸徳秋水事件(大逆事件)による報せを聞いて詠んだ。

君死にたもうことなかれ 編集

あゝをとうとよ君を泣く
にたもふことなかれ
末に生まれし君なれば
のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
「君死にたまふこと勿れ」 (旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて) 雑誌『明星』明治37年(1904年)9月号『恋衣』(晶子第四歌集)所収。

そぞろごと 編集

山の動く日來(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(をなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人稱(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは(をなご)ぞ。
一人稱にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂ほし。
かかること知らぬ
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。
雑誌『青鞜』明治44年(1911年)9月1日創刊号巻頭詩より。

情報源の不明なもの 編集

  • 金色のちひさきのかたちしていてふちるなり日の丘に
  • よりきたり三百の牧の若馬耳ふかりけり
  • 秋風に荷葉うらがれ香を放つおん薬園の池をめぐれば
  • フアウストが悪魔の手よりうけしものわれは許され神よりぞうく