世阿弥

日本の室町時代の初期の大和申楽結崎座の猿楽師、謡曲作者、理論家、演出家、作曲家。

世阿弥(世阿彌)

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謡曲

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  • 高砂や 此(この)浦舟に帆をあげて 此浦舟に帆をあげて もろともに出でしほの 波の淡路の島陰(かげ)や 遠く鳴尾の沖すぎて はや 住の江に着きにけり。はや住の江に着きにけり。
    • 『高砂』
  • 千秋樂は民を撫で 萬歳樂にはを延ぶ 相生の松風 颯々の聲ぞたのしむ 颯々の聲ぞたのしむ
    • 『高砂』
  • 老をだに養はゞ。まして盛の人の身に。薬とならばいつまでも。御寿命も尽きまじき。泉ぞめでたかりける。実にや玉水の。水上すめる御代ぞとて流の末の我らまで。豊にすめる。嬉しさよ。
    • 『養老』地歌
  • 実にも薬と思ふより。老の姿も若水と見るこそ嬉しかりけり。
    • 『養老』地歌
  • さなきだに物の淋しき秋の夜乃。人目稀なる古寺乃。庭の松風更け過ぎて。月も傾く軒端の草。忘れて過ぎし古を。忍ぶ顔にて何時までか待つ事なくて存へん。げに何事も。思ひ出の。人にハ殘る。世の中かな。
    • 『井筒』シテ。伊勢物語「筒井筒」の段を本説とする。
  • 迷ひをも。照らさせ給ふ御誓ひ。げにもと見えて有明の。行方ハ西乃山なれど眺めハ四方乃の空。松の聲のみ聞ゆれども。嵐は何處とも。定めなき世の心。何乃音にか覚めてまし。何乃音にか覚めてまし。
    • 『井筒』シテ。
  • さながら見みえし。昔男の。冠直衣ハ。女とも見えず。男なりけり。業平の面影。シテ 見ればなつかしや。 我ながら懷かしや。亡婦魄靈の姿ハ凋める花の。色なうて匂ひ。殘りて在原の寺乃鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松や芭蕉葉の夢も。破れて覚めにけり。夢ハ破れ明けにけり。
    • 『井筒』
  • 思はじと思ふ心も弱るかな。声も枯野の虫の音の。乱るゝ草の花心。風狂じたる心地して。病の床(ゆか)に伏し沈み。遂に空しくなりにけりけり。
    • 『砧』地歌
  • シテ 三瀬川沈み。果てにし。うたかたの。哀はかなき身の行くへかな。標梅花の光を並べては。娑婆の春をあらはし。 跡のしるべの燈火は。シテ 真如の秋の。月を見する。さりながらわれは邪婬の業深き。思の煙の立居だに。やすからざりし報の罪の。乱るゝ心のいとせめて。獄卒阿防羅刹の。笞の数の隙もなく。うてやうてやと。報の砧。怨めしかりける。因果の妄執。 因果の妄執の思の涙。砧にかゝれば。涙はかへつて。火焔となつて。胸の煙の焔にむせべば。叫べど声が出でばこそ。砧も音なく。松風も聞えず。呵責の声のみ。恐ろしや。上歌 羊のあゆみ隙の駒。うつりゆくなる六つの道。因果の小車の火宅の門を出でざれば。廻り廻れども。生死の海は離るまじやあぢきなの憂世や。シテ 怨は葛の葉の。 怨は葛の葉の。かへりかねて執心の面影の。はづかしや思ひ夫の。二世と契りてもなほ。末の松山千代までと。かけし頼はあだ波の。あらよしなや空言や。そもかかる人の心か。
    • 『砧』
  • 法華読誦の力にて。幽霊まさに成仏の。道明かになりにけり。これも思へばかりそめに。うちし砧の声のうち。開くる法の華心。菩提の種となりにけり。菩提の種となりにけり。
    • 『砧』

能楽書

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風姿花伝』(『風姿花傳』)

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別名『花伝書』(『花傳書』)

  • 我が位の程々よくよく心得ぬれば、その程の花は一期失せず。位より上の上手と思へば、元ありつる位の花も失するなり。
  • 申樂、神代の初まりと言ふは、天照太神、天の岩戸の籠り給ひし時、天下とこやみになりしに、八百萬の神だち、天の香具山に集まり、おん神の御心を取らんとて、神樂を奏し、細男をはじめ給ふ。中にも、あまのうずめのみ子すすみ出で給ひて、さかきの枝にしでを付けて、聲をあげ、ほどろ焼き踏みとどろかし、神がかりすと、謡ひ舞ひかなで給ふ。……。その時の御遊び、申樂の初めと云々。
  • そもそも、藝能とは、諸人の心をやはらげて、上下の感を成さん事、壽福増長の基、か齢延年の法なるべし。……。されば、いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたる所あらんをば、壽福増長の仕手とは申し難し。
  • 上手は下手の手本、下手は上手の手本なり。
  • 稽古は強かれ、情識は無かれ。
  • 秘すれば花。秘せずばなるべからず。
  • されば、このを究め終りて見れば、花とて別には無きものなり。
  • 上手は、目不利の心にあひかなふこと難し。下手は、目利の眼にあふことなし。下手にて目利の眼にかなはぬは、不審あるべからず。上手、目不利の心に合はぬこと、これは目不利の眼のおよばぬところなれども、得たる上手にて、工夫あらんしてならば、また目不利の眼にも、おもしろしと見ゆように能をすべし。この工夫と達者を極めたらんしてをば、花を究めたるとや申すべき。

『花鏡』

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  • しかれば當流に萬能一徳の一句あり
  • 初心不可忘 此句 三ヶ條口傳在
    • 是非初心不可忘
    • 時々初心不可忘
    • 老後初心不可忘
  • 此三 能々口伝可為
    「初心」とは芸の未熟のこと。
    初心不可忘は唐の詩人、劉禹錫(字・夢得 772-842)の詩「詠古二首有所寄」の末にある言葉である。
  • 幽玄の堺(さかい)に入る事 …ただ美しく柔和なる体(てい)、これ幽玄の本体なり
  • 見所より見る所の風姿は我が離見也
  • 離見の見にて見る所は、即、見所同心の見也
  • 序の、本風の、直ぐに正しき体を、細かなる方へ移しあらわす体なり。その日の肝要の能なり

『申樂談儀』

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  • 井筒、通盛など、直なる能なり。実盛、山姥も、そばへ行きたる所あり。
    • 自作についての評。「側へ行きたる」はわき道に逸れたと通例解釈される。
  • 静かなりし夜、砧の能の謡を聞きしに、かようの能の味はひは末の世に知人あるまじければ、書き置くも物くさきよし、物語せられし也。
  • 砧の能、後の世には知る人有まじ。物憂き也。
    • 自作『砧』について。

『拾玉得花』

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  • 能能安見するに、万象、森羅、是非、大小、有生、非生、ことごとく、おのおの序破急をそなえたり。鳥のさへずり、虫の無く音にいたるまで、其分其分の理を鳴くは、序破急なり。