藤原公経

日本の平安時代の貴族

藤原公経 (ふじわら の きんつね、1171年 - 1244年)は日本の公家。政治家。承久の乱で鎌倉方に味方し、太政大臣に補せられた。高野切第三種の筆者と推定される。西園寺公経(さいおんじ きんつね)とも。

出典の明らかなもの

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  • 高瀬さすむつだの淀の原みどりもふかくかな
    • 『新古今和歌集』。詞書に「建仁元年三月歌合に、霞隔遠樹といふことを」。
  • ほととぎす猶うとまれぬ心かなながなく里のよその夕ぐれ
    • 『新古今和歌集』。詞書に「千五百番歌合に」。
  • 星逢のゆふべすずしき天の川もみぢの橋をわたる秋風
    • 『新古今和歌集』。本歌「天の川もみぢを橋にわたせばやたなばたつめの秋をしも待つ」古今和歌集・よみ人知らず
  • あはれなる心のやみのゆかりとも見し夜のをたれかさだめん
    • 『新古今和歌集』。詞書に「建仁元年三月歌合に、逢不遇恋のこころを」。本歌は在原業平「かきくらす心のやみに迷(まど)ひにき夢うつつとは世人さだめよ」、古今和歌集、伊勢物語

外部リンク

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Wikipedia
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